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メタルフィッシュ
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1972年生まれ
B型 みずがめ座
神戸出身、大阪在住の営業マン
魚介類は大の苦手
海外全般が好きで渡航歴有り
釣りをモチーフにしたシルバー
アクセサリーのデザインも行っている
現在、「オンスタックルデザイン」
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2011年01月18日

阪神大震災から16年 <第一回目>

こんばんは。

本日は釣行はありません。


本日「1月17日」 は私にとってとても意味のある日なのです。

今から16年前の午前5時46分、それは起こりました。


プロフィールにあります通り、私は阪神大震災の被災者です。

当時、下宿しておりましたが、その下宿先の建物が全壊してその瓦礫の中に埋まりました。



本日は釣りと関係ありませんが、当時の記憶を風化させないためにも

震災当日の様子をこのブログを介して日記として2~3日に分けて

その記憶をたどりながら記録しておきたい思います。


本日はその1回目、震災当日の私の記録です。


もし興味がございましたらご一読ください。


犠牲者の多くの方々、ご冥福をお祈り申し上げます。



<参考>

阪神大震災 関係データ




<阪神大震災 当日>


1995年1月17日、当時私は22歳で大学4回生。

私は神戸市の東灘区というところに一人暮らしをしていた。




その日は、ちょうど大学の卒業試験初日当日の朝であった。


前日の深夜、友人と電話したりしてなかなか眠れなかった。

結局、朝まで寝ることができなかったため、寝ずに少し当日テスト科目の

テキストでも見直そうかと1ページ目を開いたとき・・・それは起こった。




ゴゴゴゴー




と音が響いたかと思うと、今まで体験したことの無い大きな



グラグラグラグラグラー



とんでもない大きな横揺れ



ギッシギッシギッシギッシギッシ




次に大きな縦揺れに代わり、揺れは毎秒ごとにますます大きくなる。

そして建物が今にもくずれそうな音になってきた。





” これは危ない ”




とっさにそう思ったが、何が何かわからない状態で体が動かない。



その強い揺れはかなり長く感じ、



ベキベキベキベキー


ドドドドドドー



すさまじい音がしたかと思うと、目の前の部屋の天井が落ちてくるのが見えた。



それでも体は動けない。



目の前で天井が落ちてくるのが見えた次の瞬間、




バチーン





電気の線が切れた音だろう。



火花が飛んで目の前は真っ暗になった。



ドドドドドドドー


ガチャガチャガチャガチャーン


バキバキバキバキー


ゴロゴロゴロゴロー



真っ暗になって何も見えない中で、ガラスの割れる音、ものが崩れる音、何かが折れる音、

大きなものが崩れる音、そんな恐ろしいほど大きな入り混じった音だけが周りから

聞こえてくる。


何も見えないので余計に恐ろしい音だけが耳に響く。




ドッドーン、ガシャーン




まるで何十分間も揺れがあったかのように長く感じた。





そして揺れが一旦収まった。




気が付くと無意識に頭を抑えて体を丸くしていた



よく地震がくれば窓を開けて逃げるとか、机の下に隠れるというが、

これだけ大きな地震が前触れもなく突然くると人間というのは体が

動かなくなるというのがよくわかった。



息苦しい・・・


建物の崩れた砂埃が大量に舞っているのだ。


(このときの砂埃の臭いが今でも記憶に残っており、この臭いを嗅ぐと当時を

  の記憶が蘇ってしまう)





そして体の回りは崩れた壁で覆われてなかなか動けない。



ちなみに私が下宿していた部屋は安いなりにも4畳半ほどの部屋が縦に繋がって

3つもあり、普段一番奥の部屋で寝ていた。


私が居た場所は普段寝ているはずの奥の部屋ではなく、起きていて勉強しようと、

たまたまその日は真ん中の部屋に居た。

地震で真ん中の部屋以外の両サイドの部屋は天井が崩れ落ちた

もしいつも通りの場所で寝ていれば間違いなく死んでいただろう


あとで分かったことであるが、おまけに真ん中の居た部屋も天井は2/3ほど落ちてきていて、

壁が倒れてきたものの、私は偶然、倒れた壁と反対側の壁が重なるちょうど角にあたる位置の

隅っこに居たため、直接、体に壁や天井が乗っかからずに押しつぶされることはなかった。


なんたる偶然かと思うが、それで私は助かった。

1m前後どちらかに居ても死んでいただろう





そして、なんとか動けるようになるものの息苦しい中、とにかく外にでようと

冷静に考えた。



すると崩れて静まり返った同じ建物の中から




” たすけて・・・たすけて・・・ ”





お年寄りのかすかな声が遠くのような近くのようなところから聞こえてきた。


それは隣に住んでいた老夫婦のご主人の方の声だった。




” 大丈夫ですか? どこですか? 

  大丈夫ですか? ”





無心に私は声を掛けるが、おじいさんは




” たすけてー、たすけてー ”





私の声に全く反応せず、しきりに繰り返し言っている。


何とかしてあげたいが、自由に動けないし、真っ暗だし、どこにいるか分からない。



気の毒だが、まずは自分が外に出てから助けることにしようと考えた。




しかし・・・



力には自身があったが、崩れた壁は全く動かない、倒れた柱も動くはずが無く

ビクともしない。


そのままじっとしていたら、第2振が来ると今度こそ死ぬかもしれないという

恐怖にさいなまれる。



何とか隙間を探し、近くの壁を叩くと一部崩れた。


なぜか直感的に ”助かる” と思った。


そしてそのコンクリートの壁を無心に叩き続けると壁が崩れた。


その崩れてできた小さな穴から何とか隣の部屋と思われる空間に移動できた。


真っ暗な中、手探りでたどって行くと、窓らしき箇所があり鍵部分を見つけた。


その時点で




” 助かった ”




と確信した。


鍵は難なく開けることができ、窓を開けるとまわりは真っ暗だった。


しかし唖然としたのは・・・


住んでいた3階であったはずの部屋が地面に着いていた。

つまり1~2階部分が完全に潰れていたのだ。



そして窓から飛び出して外に出た。




1階部分は運送会社のトラック置き場、2階部分は運送会社の事務所、

3階から5階が住宅になっている建物だった。


鉄骨住宅であったにも掛からず、ゲタを履いた構造だから潰れたのだろう。

外から見るとその鉄骨がむき出しになっており、完全にグニャッと曲がって

いるのが分かった。


隣のおじいさんを助けようと思ったが、外から見ると全く中に入れる様子はない。




” あかん、無理や・・・ 救助を待つしかない・・・ ”



あとで知ったことだが・・・


この隣に住んでいた老人は翌日救出されたが、間もなく息を引き取ったらしい。

また私の反対隣に住んでいた方も亡くなったということだった。

つまり私の両サイドに住んでいた住民は亡くなっていた。





まず外に出て思ったのは、


ガスくさい



異常なほどガス臭があたり一帯に充満していた。




” これは危険や、どこかでガス管が亀裂を起こしてるな ”




すると、近くの崩れた家の中から




” すみません、そのあたりにガスの元栓があるけど

外から見てくれませんか? ”





と外にいる私の存在に気付いて冷静に頼んでくる方もいた。


そして近くからまた




” たすけてください、たすけてください ”




今度は女性の小さな声がどこからか聞こえた。


声の出所をたどると、どうやら向かえの崩れた家の中から聞こえるようだった。

見てみると1階部分が完全に無くなり、屋根が地面にペッタンと落ちている。

その屋根の下からどうやら聞こえていた。

声をたどっていくと、やはり屋根の真下だ。


冷静に考えれば無理なことは分かるが、私は無心に屋根を持ち上げようとした。

すると今でも信じられないが屋根は少し持ち上がった。

その中に中年女性らしき方が布団に横たわったまま屋根にはさまれているのが

確認できた。

しかし屋根はそれ以上動くわけもない。

次に考えたのが、瓦屋根だったため、瓦を少しでも屋根から外せば軽くなるだろうと

無心に瓦を屋根からはずしていった。

たまたま通りかかった男性にも声を掛け、事情を説明して手伝って頂いた。

そして何とか屋根を動かすことができ、女性を無事救出できた




そこで落ち着いたのか、我にかえると、手や足から血が出ていた

冬の寒い中、トレーナー1枚にスウェットのズボン1枚、靴下のみで靴は無い、

普段しているコンタクトも無いので目がよく見えない、家の中にいるそのままの

格好だった。




その後どうしていいか分からず、なぜか気が付くと、歩いて30分の

阪急岡本という駅に足は向かっていた。



途中、まわりを見渡すと映画などで見るような、まるで空爆を受けた後のような

おそろしくすさまじい光景だった。



次回に続く 





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Posted by メタルフィッシュ at 01:36│Comments(4)阪神大震災
この記事へのコメント
16年経ちました

関西だけがテレビやメディアで大きく取り上げられてるようです

文章ではうまく気持ちを表現できないのですが、地震の後、すぐになぜかNHKを付けて祖母に電話したの覚えてます

しばらくするとテレビでは信じがたい光景が映し出されてました

その中にいらっしゃったんですね
Posted by ガッシィ at 2011年01月18日 07:35
>ガッシィ さん

いつも有難うございます。

そうですね。関東は影響がなかったので、そんなものでしょう。

実際の現場ではカメラが入れないような瓦礫になっているところが
多く、メディアに写されている以上にひどかったのです。

続きの日記でまた記しますが、直後は当然電気も通っていないため
情報の入手源は完全に絶たれ、自分のいるところ以外がどうなっているか
全く分かりませんでした。

また宜しければ続きを書きますのでまた見てやって下さい。
Posted by メタルフィッシュメタルフィッシュ at 2011年01月18日 10:13
メタルフィッシュさん 第二回目から先に 読ませていただきました。

真っ暗闇のなかで・・・ 
さらにガス臭・・・ さぞかし恐ろしかったに違いありません。

自分が血だらけなのにも関わらず
周りの人を助ける・・・ なかなかできることではありません。

まわりの方々が亡くなられている中で
メタさんが生き残ったのは 運命としか・・・

自分は この時 東京にいて 揺れは体験していませんが
嫁が出産のため 大阪へ帰省していました。
朝 テレビをつけると 惨状が報道されており
なかなか連絡も取れず・・・
そして この2日後 帰阪でき 無事出産に立ち会えました。
息子の年齢は そのまま 阪神大震災の歴史となりました。

つらい実体験を・・・
記事にしていただいて ありがとうございます。
Posted by かわっ家(ち)かわっ家(ち) at 2011年01月20日 00:28
>かわっ家(ち) さん

長い文章を最後までご覧頂きましてこちらこそ有難うございます。


震災の年、それも2日後に息子さんが生まれたのですね。
でも奥様は何も無くて本当に良かったですね。


現場では気が付けば無心に救助していましたが、恐らくこれは
極限状態にある人間同士の助け合おうとする本来の姿だと思って
います。

生き残ったのは自分でも奇跡的だと思います。
私のようにほんの少しの差で生き残るものもいれば、亡くなった方も
たくさんおられると思います。

ブログには掲載しておりませんが、2日後くらいに被災地の
某小学校の校庭で薪で暖をとっていた時に、そこで出会った方から
「それはあなたに使命が残されているからですよ」
と言われましたが・・・なんの使命かは未だによく分かりません。
Posted by メタルフィッシュメタルフィッシュ at 2011年01月20日 01:22
 
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